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那覇地方裁判所 昭和56年(行ウ)10号 判決

原告 合資会社池宮商会 外一名

被告 那覇市長

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告が昭和五五年一〇月一日付那覇市告示第七七号をもつてした市道松尾一号の区域決定処分のうち原告合資会社池宮商会所有の別紙物件目録(一)記載の土地及び原告池宮城澄子所有の同目録(二)記載の土地に関する部分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告合資会社池宮商会(以下「原告会社」という。)は別紙物件目録(一)記載の土地(以下「二二四番一の土地」という。)を所有し、原告池宮城澄子(以下「原告澄子」という。)は同目録(二)記載の土地(以下「二二四番二の土地」という。)を所有している。(以下、右各土地を一括して「本件各土地」という。)

2  被告は、

(一) 昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号をもつて、起点を那覇市字松尾石川後原二六五番五地先、終点を右同所二四四番地内とする市道松尾一号(以下「本件市道」という。)の路線認定をし、

(二) 昭和五五年七月二一日付那覇市告示第六七号をもつて、本件市道の起点及び終点を実体に変動がないものとして起点を那覇市松尾一丁目二六五番一地先、終点を同市松尾一丁目二二四番一地内とする地番訂正及び町名変更をし、

(三) 昭和五五年一〇月一日付那覇市告示第七七号をもつて、起点及び終点を前記(二)のとおりとする道路区域決定(以下「本件区域決定処分」という。)をした。

3  前項(二)の処分により、別紙図面のとおり本件各土地のうち幅員三・六メートル、距離二四メートル(二二四番一の土地一〇・五メートル、二二四番二の土地一三・五メートル)の部分(以下「本件通路部分」という。)が本件市道として路線認定され、これについて本件区域決定処分がなされるに至った。

4  原告らは、昭和五五年一〇月一〇日本件区域決定処分がなされたことを知ったので、同年一一月二七日沖縄県知事に対し本件区域決定処分について審査請求をしたところ、昭和五六年四月二三日付裁決書をもつて請求棄却の裁決がなされ、右裁決書は同月二八日原告らに送達された。

5  よつて、被告のした本件区域決定処分中本件各土地に関する部分は違法であるので、原告らはその取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実を認める。

2  同3の主張を争う。

3  同4の事実を認め、同5は争う。

三  被告の主張

1  本件市道の前身は那覇市道S一三号(以下「S一三号線」という。)である。S一三号線が路線認定されたのは一九五八年一二月二二日であり、同日付那覇市告示第一一二号によつて公示された。右告示によれば、S一三号線は、起点が市道S一四号、終点が輪入新聞社前、延長が七〇・九〇メートルとなつており、右起点から終点の輪入新聞社前まで七〇・九〇メートルを計測すれば、S一三号線が本件通路部分まで伸びていることが明白である。

2  本件通路部分は、いわゆる潰れ地であり、右認定当時事実上道路として使用されていたので、付近住民の交通の利便を確保する必要から、市道認定をするに至つたものである。

潰れ地とは、権原取得のないまま一般交通の用に供されていた道路であり、日米両軍又は市町村等によつて開設ないし拡張されたものから地域住民によつて開設されたものまで、その発生原因はさまざまであるが、本件通路部分は地主もしくは地域住民の通行によつて自然発生的に開設されたものと思われる。すなわち、第二次大戦後の沖縄においては、道路を新設するにあたり公共団体がまずその敷地の権原を取得するという通常の方法による道路形成ができない状況にあつた。新しい居住区に新しい道路が自然発生的にできあがり、行政当局主導による道路開設ができなかつたのである。しかし、自然発生的にせよ既に道路としての形態をそなえていて、しかも、それが市民の交通の用に供されている以上、その維持管理費は莫大なものになるので、那覇市においては、これら私道を市道として認定したうえ、その維持管理を市の負担にしたのである。

3  昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号をもつてS一三号線と市道K二三八号(以下「K二三八号線」という。)とが整理統合されて市道松尾一号(本件市道)と路線認定されるに至つた。K二三八号線は、牧志線(旧市道で現在の県道三九号線)よりS一三号線に至るまでの延長二〇・三一メートルの道路であり、これとS一三号線を統合したものが本件市道である。

4  右告示第一三号によると、本件市道の終点は「那覇市字松尾石川後原二四四番地内」と表示されているが、右地番は県道四五号線から県庁前に至る道路に面するところにあたり、従前のS一三号線とは遠く離れた関連性のない地点であり、右終点の地番の表示は明白な誤記というほかないのである。

右誤記が判明し、更にその後の町名変更もあつたことから、被告は、昭和五五年七月二一日付那覇市告示第六七号をもつて、本件市道の起点及び終点の地番訂正並びに町名変更をするに至つたものである。

なお、右町名変更及び誤記訂正は、昭和二九年一一月一七日道発第四一六号建設省道路局長通達によれば、道路の実体に関係のないことであるから、議会の議決を要しないとされており、このような取扱いが全国的に統一されている。

5  ちなみに、被告作成の道路現況台帳には、S一三号線の終点が「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と記載されているが、一九五八年一二月二二日の路線認定当時、右二一九番の土地はS一三号線よりも高台の墓地帯であつて、同地点に道路が開設されたこともないし、当時路線を開設しようとする計画もなかつた。道路現況台帳に、右のような記載がなされるに至つたのは、路線認定をするについて、起点の地番を終点に向かつて道路の左側、終点は道路の右側の地番を表示する方法があり、担当職員がたまたま道路現況台帳に登載するについてS一三号線の右側に相当する地番として右二一九番を終点の地番として表示したものと思われる。したがつて、右二一九番の表示がなされているからといつて、同地点をS一三号線の終点とみることはできない。この記載も単なる誤記であるので、実体に符合するように前記告示第六七号をもつて地番の訂正をしたのである。

6  以上のとおり、本件通路部分は、S一三号線の路線認定によつて市道として認定されたところ、S一三号線とK二三八号線との整理統合により、本件市道としての路線認定がなされたものであり、これについて本件区域決定処分がなされたものであるから、本件区域決定処分には何らの違法もない。

なお、道路の区域決定は、道路管理者がその対象となる土地について所有権等の権原を取得する以前においても行いうるものであるから、那覇市において本件通路部分の権原を取得しないまま本件区域決定処分がなされたからといつて、本件区域決定処分が違法となることはない。

四  被告の主張に対する原告らの認否及び反論

1(一)  被告の主張1の事実中、S一三号線が本件通路部分まで伸びていたことを否認し、その余の事実を認める。

(二)  同2の事実中本件通路部分が自然発生的に生じた潰れ地であること、被告主張の路線認定がなされた当時本件通路部分が事実上道路として使用されていたため、付近住民の交通の利便を確保する必要から市道認定がなされたことを否認し、その余の事実は不知。

(三)  同3の事実を認める。

(四)  同4の事実中、本件市道の終点を「那覇市字松尾石川後原二四四番地内」としたことが明白な誤記である旨の主張は不知、その余の事実は認める。

(五)  同5の事実中、被告作成の道路現況台帳にS一三号線の終点が「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と記載されていること、右二一九番の土地が高台の墓地帯であつたことを認め、その余の事実は不知。

(六)  同6のうち、道路管理者たる那覇市が本件通路部分について権原を取得していないことを認め、その余は争う。

2  S一三号線の終点について

被告は、本件市道の前身であるS一三号線の終点(輸入新聞社前)と本件市道の終点が同一地点であつて、右にいう輸入新聞社前とは二二四番一地内を指すのであるから、昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号に本件市道の終点が「那覇市字松尾石川後原二四四番地内」と表示されたのは地番の誤記であり、正しくは「那覇市字松尾石川後原二二四番一地内」と表示されるべきものであつた旨主張するが、次にみるように被告の主張は明らかに誤まりである。

(一) 一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号によるとS一三号線の終点は「輸入新聞社前」と表示されているが、ここでいう「前」とは、建物の前すなわち玄関先ということではなく、その建前の存在する敷地の「前」と解釈すべきである。なぜならば、例えば、右告示第一一二号にある市道S二三号の起点は「刑務所裏」と表示されているが、右「裏」を刑務所の建物の裏とみると、刑務所の外壁と刑務所の建物の間に市道の起点が存在するという結果になり、不都合であることは明白である。すると、S一三号線の終点である「輸入新聞社前」は、後記輸入新聞社の社屋が建つていた敷地すなわち二二四番一の土地の前の地点を指すことが明らかである。

(二) そもそも土地の表示は地番によつて特定するか、方位、計測ともに記載された図面によつて特定するしか方法はないが、一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号に添付されている図面をみても、図面自体が杜撰であつて、方位、距離、その基準点が全く明らかでなく、これによつて「輸入新聞社前」の場所を特定することはできず、S一三号線の終点が本件各土地内にあるのか又は隣地の那覇市松尾一丁目二一九番地内にあるのか判然としない。右告示第一一二号に、S一三号線の終点として漠然と「輸入新聞社前」と表示されていた地点について公文書上初めて地番が付されたのは、被告が沖縄県に提出した昭和四七年五月一五日付道路現況台帳である。これによると、S一三号線の終点は「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と表示されており、右二一九番というのは、本件各土地の前、すなわち隣地の沖縄県教職員共済会の会館(八汐荘)の敷地であつて、まさに前記告示第一一二号に表示された「輸入新聞社前」に該当するのである。

そうとすれば、昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号の本件市道の終点の表示「那覇市字松尾石川後原二四四番地内」が仮に被告主張のように表示の誤りだとしても、それは「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」に訂正されるべきであつて、「那覇市字松尾石川後原二二四番一地内」に訂正されるべきではなかつたのである。

3  本件通路部分の利用状況について

被告は、S一三号線の路線認定がなされた当時、本件通路部分が道路として既に使用されていた旨主張するが、本件各土地内にはいわゆる生活道路としての道路は存在していなかつた。

(一) 原告会社の代表者である池宮城幸興は、二二四番一の土地の所有権を一九五三年六月五日に取得し、一九五七年四月一日原告会社に売却(移転登記は一九六〇年三月一九日)した。

原告会社は二二四番二の土地の一部を一九五七年ころから賃借していたが、原告澄子は、一九六二年一二月二一日二二四番二の土地の所有権を取得した(移転登記は同年同月二四日)。

(二) 池宮城幸興は、一九五〇年に日本の新聞の輸入販売業を始め、一九五二年から一九五三年にかけて二二四番一の土地上に社屋を建築して、輸入新聞琉球管理所の名称で日本の新聞の輸入販売・沖縄地区一円における米軍星條旗新聞の販売をしていた。一九五八年一月一日には、その前年に右池宮城幸興が設立発起人代表として創業した沖縄煙草株式会社の臨時本社も同社屋に置き、約四〇名の従業員、一〇〇名前後の新聞配達員を擁し、車両も四台常用するなど、右会社は当時盛業中であつた。

(三) 池宮城幸興及び原告らが本件各土地の周囲に塀を設置しなかつたため、会社の敷地内を一、二世帯の人達が通行したことがあつたかも知れないが、それは国際通りに抜けるのに便利で、さえぎる塀もないことから駐車中の車両の後を通つたりしたにすぎないもので、幅員三・六メートルの道路が生活道路として存在していたわけではない。このことは、一九五八年一月一日当時の写真(甲第一三号証)や一九五二年末から一九五三年初めころに撮影された写真(甲第一四号証)をみれば明らかであり、本件通路部分は、原告会社の所有する車両の駐車場として、あるいは原告会社のトタン葺の便所敷地として利用されていた。前記社屋及び便所は、一九六二年八月ころ会社が那覇市久茂地に本店を移転したのに伴い取り毀されるまでは、会社の社屋及び便所として使用されていた。

(四) 原告会社は、本店を久茂地に移転した一九六二年(昭和三七年)ころから昭和五五年六月まで二二四番一の土地を有料駐車場として使用収益し、原告澄子も二二四番二の土地を同様に駐車場として使用収益してきた。その間、被告の主張する道路上にも駐車させていたが、道路上であるから移動するようにという異議を受けたことも全くなかつた。

(五) 更に、本件各土地附近の市道及び本件市道はすべてコンクリートアスフアルト舗装が完成しているが、本件各土地の直前で舗装は終わつており、外観的にも道路としての実体を備えていない。

(六) 原告会社は一九五八年から二四年間余、原告澄子は一九六二年から二〇年間余も、本件通路部分の固定資産税を支払つている。仮に一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号によつて本件通路部分が市道として路線認定及び供用開始されていたとすれば、当然道路部分としての免税措置がとられていた筈であるが、被告においてそのような手続はまつたくなされていない。すなわち、原告らにとつて市道であるとの認識もなく被告からの告知もないので、自己の所有地として公租公課を支払つてきているのであるが、被告は、本件通路部分を市道と認定しておきながら、一方では税金を徴収するという過誤を犯してきており、これは被告においても本件通路部分が道路であると認識していなかつたことの証左である。

4  本件区域決定処分の違法

(一) 道路法第八条第二項違反

以上のとおり、一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号によるS一三号線の終点が二二四番一地内でなかつたことは明白であるから、被告が市道の存在を前提としてなした昭和五五年七月二一日付那覇市告示第六七号による地番訂正は、本件市道の終点を「那覇市松尾一丁目二二四番一地内」とする新たな道路の路線認定にほかならない。そうとすれば、被告は道路法第八条第二項による議会の議決を経なければならないところ、右手続をなすことなく単なる地番の訂正という違法な手続によつて路線認定をしたのであるから、これに基づいてなされた本件区域決定処分も違法な処分である。

(二) 裁量権の濫用

仮に右主張が容れられないとしても、もともと道路は一般交通の用に供する目的と必要性が存しなければならないところ、被告は一九七一年五月一八日付で市道の認定基準に関する規程を制定し、新たに認定する市道は、(イ)路線が系統的で交通上重要であること、(ロ)起点及び終点が国道、県道及び市道のいずれかに連結すること、(ハ)道路の沿線に集落または公共施設があること、(ニ)集落または公共施設に通ずる路線、(ホ)市長が諸般の交通事情及び公共的見地から市道に編入することが適当と認めた道路(里道及び通学通園路)、の一に該当するものでなければならないと定めている。

ところが、本件市道は、二二四番一の土地と那覇市松尾一丁目二二〇番七原野二六平方メートル(以下「二二〇番七の土地」という。)との境界線より約〇・八メートル手前で終了し、他の道路に連結するものではなく、本件通路部分の沿線には集落又は公共施設はなく、またそれらに通じる路線でもない。したがつて、本件通路部分は前記(イ)ないし(ホ)のいずれの要件をも充足していないから、本件通路部分を市道として認定、管理することは極めて妥当性を欠き、道路法の所期する目的に沿わない不当な行政権の行使であり、裁量権の範囲を逸脱した違法な処分であるというべきであり、かかる違法な路線認定に基づく本件区域決定処分も違法な処分といわざるを得ない。

五  原告らの反論に対する被告の認否

1  原告らの反論2、3及び4(一)は争う。

2  同4(二)のうち、原告ら主張のような市道の認定基準が存在すること、本件市道が二二四番一の土地と二二〇番七の土地との境界線より約〇・八メートル手前で終了し、他の道路に連絡していないこと、本件通路部分の沿線には集落又は公共施設がなく、またそれらに通じる路線でもないこと、本件通路部分は右市道の認定基準のいずれにも該当していないことは認め、その余は争う。被告が右市道認定基準を制定したのは本件通路部分が路線認定された後のことであり、また本件市道の周辺には住宅が密集している。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件区域決定処分及び行政不服審査の経由

請求原因1、2及び4の各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件区域決定処分の適法性

1  本件市道の前身がS一三号線であること、S一三号線は、一九五八年一二月二二日に路線認定され、同日付那覇市告示第一一二号によつて公示されたものであり、右告示によれば、S一三号線は、起点がS一四号線、終点が輸入新聞社前、延長が七〇・九〇メートルとされていたこと、他方、K二三八号線は、牧志線(旧市道で現在の県道三九号線)からS一三号線に至る延長二〇・三一メートルの道路であつたこと、本件市道は、S一三号線とK二三八号線が整理統合されたものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  次に、右争いのない事実に、成立に争いのない甲第三号証、第一〇、第一二号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証の一ないし四、第四号証の一ないし三、原本の存在及び成立に争いのない甲第八、第九号証の各一、二、証人謝花寛勇、同前田直俊の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  前記一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号による道路の路線認定は、道路法(一九五二年九月二九日立法第四〇号)の規定に基づき、総延長二万六三六七・一七メートル、総面積一四万四一九三・二五平方メートルに及ぶ一二八路線の市道について行われたものであるが、これによると、S一三号線については、起点をS一四号線とし、終点を輸入新聞社前とする延長七〇・九〇メートル、幅員三・六三メートル、面積二五七・三七平方メートル(経由地松尾湯)の道路部分が市道として路線認定された。

(二)  右告示第一一二号による路線認定は、那覇市内の道路のほとんどが一九五一年四月の所有権認定手続以前につくられたものであるためにその補償問題、旧道路及び廃道の測量調整等多くの課題を抱えていた那覇市が、これを打開する道路行政の一環として、道路の管理・構造の保全を図り、交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進する目的のために行つたものであり、路線の認定基準は、現に一般交通の用に供されている道路で市の維持・管理を必要とし、かつ、財政負担に耐えうる限度のものとされ、同市が権限を有していない道路敷地についての所有権取得すなわち補償問題については、莫大な財政負担を必要とするため、後日政府の援助を受けたうえで実施することとされていた。

(三)  被告が昭和四七年五月一五日付で沖縄県に提出した道路現況台帳には、S一三号線の起点が「松尾石川後原一八八番地先」、終点が「松尾石川後原二一九番地内」と記載されていた。

(四)  被告は、市道の適正な管理運用を図るため市道の全路線を対象にした統合、分割並びに路線名の変更を行う必要があるとして、昭和四九年一二月の那覇市議会に、二二二本の路線を一応廃止し、これを一一〇本に統合・分割して路線認定を行うほか、六三〇本の市道について路線名の変更を行うとの議案を提出し、その議決を経たうえ、昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号をもつて、右市道路線認定及び廃止を公示した。その結果、S一三号線及びK二三八号線(起点・那覇市字松尾石川後原二六四番四地先、終点・同市字松尾石川後原二六四番五地先)の路線が廃止され、右二路線を統合したものとして、市道松尾一号(起点・那覇市字松尾石川後原二六五番五地先、終点・同市字松尾石川後原二四四番地内)が路線認定された。

3  右認定事実によれば、本件市道は、右昭和五〇年二月一七日告示第一三号によつて路線が廃止されたS一三号線及びK二三八号線を統合する形で路線認定がなされたものであり、本件市道とS一三号線及びK二三八号線とは実質的に同一の道路とみることができ、本件市道の起点はK二三八号線のそれと、また本件市道の終点はS一三号線のそれとそれぞれ一致するものというべきである。

4  ところで、被告は、一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号による路線認定の当時、本件通路部分が事実上道路として使用されていた(いわゆる潰れ地)ところから、S一三号線の一部として路線認定された旨主張するので判断するに、成立に争いのない甲第一六、第一七号証、原告会社代表者尋問の結果により一九五六年一月一日ころ本件通路部分を撮影した写真であると認められる甲第一三号証、一九五二年末ころから一九五三年ころ二二四番一の土地及びその付近を撮影した写真の写しであると認められる甲第一四号証、一九五四年ころ二二四番一の土地及びその付近を撮影した写真とその説明図であると認められる甲第一八号証の一、二、一九五三・四年ころ本件道路部分及び隣地(現在の八汐荘の敷地)を撮影した写真とその説明図であると認められる甲第一九ないし第二一号証の各一、二、一九五三年ころ本件通路部分及びその付近を撮影した写真とその説明図であると認められる甲第二二号証の一、二、一九五三年当時の本件各土地及びその周辺を描いたイラストであると認められる甲第二三号証、証人謝花寛勇、同前田直俊の各証言、原告会社代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、池宮城幸興は、一九五〇年ころ日本本土の新聞の輸入・小売業を始め、一九五二年ころ二二四番一の土地及び同番二の土地の一部(後記通路部分)を賃借して、二二四番一の土地上にコンセツトの社屋を建築し、輸入新聞琉球管理所の名称で本土新聞の輸入販売、米軍機関紙(星條旗新聞)の販売業を営み、一九六二年に原告会社が本店を那覇市久茂地に移転するまでの間、右コンセツトを原告会社等(原告会社の設立は一九五七年二月五日)の社屋、事務所としても利用していたこと、池宮城幸興は、一九五三年六月二五日二二四番一の土地を伊是名秀發から買い取つて、一九五七年四月一日原告会社に売り渡し(所有権移転登記は一九六〇年三月一九日)、原告澄子は、一九六二年一二月二一日二二四番二の土地を下地敏之から買い受けたこと、二二四番一の土地が輸入新聞琉球管理所等の社屋敷地として使用されていた当時、右土地及び同番二の土地の南側で隣地との境界線に沿つた幅四・五ないし五メートルの部分(本件通路部分はその一部)は通路の形態をなし、前記輸入新聞琉球管理所及び原告会社等の従業員及び新聞配達員の出入りや新聞輸送等の車両の通行及び駐車の用に供されていたが、右通路に接続して二二四番一の土地の東側の隣接地である二二〇番七の土地内を通る幅員約一メートルの通路があり、本件各土地の周辺の住民が右各通路を利用して松尾湯や現在の国際通り方面へ出入りしていたこと、二二四番一の土地の北側隣地に居住する新垣ヨシは、二二四番一の土地上に建てられていた前記コンセツトと二二四番二の土地上に建てられていた金城誠二郎の建物との間の幅員約一メートルの路地を通つて本件通路部分に至り、これを利用して公道に出ていたこと、このように本件通路部分が通路の形態をなし、本件各土地の周辺の住民によつていわゆる生活道路として利用されていて、事実上一般の交通の用に供されている道路としての実体を有すると認められたところから、前記2(二)のような行政目的と認定基準のもとに行われた一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号による道路の路線認定に際し、本件通路部分がS一三号線の一部として路線認定の対象とされたこと、以上の事実が認められる。

右告示第一一二号においてS一三号線の終点が「輸入新聞社前」と表示されていたことはさきに見たとおりであり、右「輸入新聞社」が前記輸入新聞琉球管理所の通称であることは弁論の全趣旨に照らして明らかであつて、このことは、本件通路部分がS一三号線として路線認定されたことを端的に物語つているものと見ることができる。この点について、原告らは、右告示にいう「輸入新聞社前」の「前」とは、建物の前すなわち玄関先ということではなく、その建物の存在する敷地の前と解釈すべきであると主張し、右告示第一一二号をもつてS一三号線と同時に路線認定された市道S二三号線、同E一号線、同E一九号線の起点又は終点が「刑務所裏」、「グランドオリオン横」、「仲村ジユース会社前」とそれぞれ表示されているのに、右各路線の実際の起点又は終点が右表示に係る建物の所在地から離れていることを示す証拠として甲第三〇ないし第三二号証の各一ないし三を提出しているのであるが、右各証拠及び証人謝花寛勇の証言から明らかなように、当時路線認定された道路の起点、終点を表示する方法として一定の原則が確立されていたものとは到底考え難いのであつて、右告示第一一二号の起点又は終点の表示はおおまかな位置ないしは目安を表わしたものと認めるのが相当であり、右告示第一一二号のS一三号線の終点の表示「輸入新聞社前」を原告ら主張のように解釈すべき必然性は存しないものというべきである。

また、前記告示第一一二号上S一三号線はS一四号線を起点とする延長七〇・九〇メートルの区間として表示されていることはさきに見たとおりであり、前掲乙第三号証の一(甲第八号証の一、二)によれば、S一四号線は起点を牧志線(現在の国際通り)、終点をS一六号線とする延長一八六メートルの市道であることが認められ、前掲甲第三号証、乙第四号証の一、二、成立に争いのない甲第一一号証(証人前田直俊の証言及び弁論の全趣旨によれば縮尺五〇〇分の一の地図であると認められる。)、証人前田直俊の証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、S一三号線の起点は牧志線からS一四号線に沿つて二〇・三一メートルの位置にある三叉路であり、右地点から七〇・九〇メートルを計測すると、おおむね本件通路部分の東端に達することが認められ、この点からも、本件通路部分がS一三号線として路線認定されたことが明らかである。(なお、前掲甲第八号証の二、乙第三号証の一の市道認定個所見取図をみると、S一三号線の起点が牧志線であるかのように図示されているけれども、前記告示第一一二号ではS一三号線の起点がS一四号線とされていること、前記認定のように本件市道はK二三八号線とS一三号線とを統合して路線認定されたものであり、右K二三八号線の起点が牧志線、終点が右起点より二〇・三一メートルの地点であることに照らすと、(K二三八号線とS一四号線とは一部重複して路線認定されていることになる。)右市道認定個所見取図は誤つているといわざるを得ない。)

5  以上によれば、本件通路部分は、一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号によつてS一三号線として路線認定されたものであり、その後昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号により路線の廃止されたK二三八号線及びS一三号線を統合するものとして本件市道の路線認定がなされた際、その一部として路線認定の対象とされたことが明らかである。

6  原告らは、被告が昭和四七年五月一五日付で沖縄県に提出した道路現況台帳にS一三号線の終点として「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と表示されていた(なお、前掲甲第三号証、乙第四号証の一、二によれば、前記昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号にも、路線廃止となつたS一三号線の終点が「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と表示されていたことが認められる。)を捉えて、S一三号線の終点が那覇市字松尾石川後原二一九番(現在の那覇市松尾一丁目二一九番)地内である旨主張するが、前掲甲第一九ないし第二一号証の各一、二並びに弁論の全趣旨によれば、S一三号線が路線認定された一九五八年当時、那覇市字松尾石川後原二一九番の土地は、本件通路部分よりも高台の墓地帯であつて(右事実は当事者間に争いがない。)、道路の形態をなしておらず、一般の交通の用に供された土地でもなかつたことが認められるのであつて、前記2(二)のような行政目的と認定基準に基づいてなされた路線認定においてこのような土地が市道として路線認定の対象とされたものとは到底考え難いところである。

そうとすれば、前記道路現況台帳及び告示第一三号においてS一三号線の終点が「那覇市字松尾石川後原二一九番地内」と表示されたのは、明らかな誤記であるといわざるを得ない。

7  原告らは、(イ)原告会社が二二四番一の土地について、原告澄子が二二四番二の土地について、一九六二年ころから昭和五五年六月まで有料駐車場として使用収益し、本件通路部分上にも車両を駐車させていたが、これについて被告が何ら異議を述べなかつたこと、(ロ)本件市道は本件通路部分を除いて舗装を完成しているが、本件通路部分については未舗装であり、外観的にも道路の実体がないこと、(ハ)原告会社は一九五八年から二四年間余、原告澄子は一九六二年から二〇年間余も本件通路部分の固定資産税を支払つてきているもので、仮に一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号をもつて本件通路部分が市道として路線認定及び供用開始されておれば、当然本件通路部分の免税措置がとられて然るべきなのにこれがとられていないことを挙げて、これらが本件通路部分が市道として路線認定されていない証左である旨主張するけれども、右(ロ)の点は本件通路部分が路線認定された事実と何ら矛盾するものではないし、弁論の全趣旨によれば、S一三号線については、一九五八年一二月二二日付那覇市告示第一一二号をもつて路線認定と同時に供用開始がなされたことが認められるが、道路の供用開始が有効になされるためには、道路としての形態が具備されていることのほか、道路敷地について所有権・賃借権その他の権原を取得していることを要するところ、本件通路部分について被告が権原を取得していないことは当事者間に争いがないのであるから、右告示第一一二号をもつてなされたS一三号線の供用開始は、本件通路部分に関する限り無効であるといわざるを得ず、路線認定の効力のみが発生したものというべきところ、路線の認定は、路線の名称、起点、終点、重要な経過地等を定めることにより道路の位置を抽象的、概略的に認定、公示するものであつて、道路敷地となるべき土地の範囲を具体的に確定するものではなく、これによつて土地所有者の権利に何ら影響を及ぼすものではないのであるから、原告らが本件通路部分を駐車場の用地として使用していたことに対して被告が異議を述べなかつたとしても、本件通路部分がS一三号線として路線認定されたことと何ら矛盾せず、また、本件通路部分について固定資産税の免税措置が講じられていないとしても、このことから直ちに本件通路部分が市道として路線認定されていないことを意味するものということはできない。

8  ところで、前記昭和五〇年二月一七日付那覇市告示第一三号において本件市道の終点が「那覇市字松尾石川後原二四四番地内」と表示されたことはさきに見たとおりであるが、以上検討したところから明らかなように、本件市道の終点は、S一三号線のそれと一致し、「那覇市松尾一丁目二二四番一地内」であると認められるのであるから、右告示の表示は明らかな誤記であるといわざるを得ない。(成立に争いのない甲第七号証及び弁論の全趣旨によると、右二四四番の土地は、本件各土地から南東方向約一二〇メートルの地点に所在することが認められる。)

そうとすれば、被告が、昭和五五年七月二一日付那覇市告示第六七号をもつて本件市道の終点を「那覇市松尾一丁目二二四番一地内」とする地番訂正及び町名変更をしたうえ、本件区域決定処分を行つたことには、何らの違法も存しないというべきである。

原告らは、右告示第六七号による地番訂正及び町名変更は新たな道路の路線認定であつて、那覇市議会の承認を経ない違法な処分である旨主張するが、右主張は本件市道の終点が「那覇市松尾一丁目二二四番一地内」ではないことを前提とするもので、右前提自体失当であるから、原告らの主張は理由がないし、そもそも路線認定にあたり道路法が市町村議会の議決をあらかじめ経なければならないとしている趣旨は(同法第八条第二項)、いかなる道路を路線認定するかによつて地域の交通手段を決定づけ、また路線認定に続いて行われる区域決定、供用開始の各処分によつて住民の権利に多大な影響を及ぼすことを考慮したものと解されるから、新たな路線認定ではない単なる表示の訂正については市町村議会の議決を要しないといわざるを得ない。したがつて、被告が右告示第六七号をもつてなした本件市道地番訂正及び町名変更について那覇市議会の議決を経ていないとしても、違法であるとはいえない。

9  原告らは、本件通路部分を市道として路線認定することが、被告の制定した一九七一年五月一八日付市道の認定基準に関する規程において定める要件を欠き、裁量の範囲を逸脱しているので違法である旨主張する。

成立に争いのない乙第五号証及び弁論の全趣旨によると、被告は、市道の適正な管理及び道路網の整備を図るため市道路線の認定について必要な基準及び手続に関する事項を定めることを目的として、一九七一年五月一八日訓令第四号をもつて市道認定基準に関する規程を制定したこと、同規程第二条によると、新たに市道に認定する道路は、(イ)路線が系統的で交通上重要であること、(ロ)起点及び終点が国道、県道及び市道のいずれかに連結すること、(ハ)道路の沿線に集落または公共施設があること、(ニ)集落または公共施設に通じる路線、(ホ)市長が諸般の交通事情及び公共的見地から市道に編入することが適当と認めた道路(里道及び通学通園路)のいずれか一に該当することが必要であると規定されていることが認められ(市道の認定基準が存在することは、当事者間に争いがない。)、本件通路部分が右市道の認定基準のいずれも充足していないことは、当事者間に争いがない。

しかして、前記昭和五〇年二月一七日告示第一三号による本件市道の路線認定が、同告示をもつて路線が廃止されたS一三号線及びK二三八号線を整理統合する形でなされたものであり、S一三号線及びK二三八号線と本件市道とは実質的に同一の道路と考えて差支えないことは、さきに見たとおりであるが、右告示によつてS一三号線及びK二三八号線が路線廃止され、本件市道が新たな市道として路線認定された以上、右路線認定は前記認定基準に則つて行われるべきものと解するのが相当であり、右認定基準がS一三号線の路線認定後に定められたものであり、S一三号線及びK二三八号線と本件市道とが実質的に同一の道路であることを根拠に、本件市道の路線認定が右認定基準に従つてなされなくても違法ではないという議論は、本件市道の路線認定がそれ自体新たな行政行為であることを無視するもので、相当でないというべきである。

そこで、本件市道の路線認定が前記認定基準に適合するか否かを判断するに、その判断にあたつては、前記7で検討した路線認定の法的性質に鑑み、路線認定された本件市道が全体として前記認定基準(イ)ないし(ホ)のいずれかに該当するかどうかをみるべきものであり、これが肯定的に判断される限り、本件市道の一部分にすぎない本件通路部分が右認定基準のいずれをも充足しないからといつて、そのことによつて本件市道の認定基準適合性の判断が左右されるものではないと解するのが相当である。この観点に立つて本件市道の認定基準適合性を検討すると、前掲甲第一一、第一四号証、第一八号証の一、二、第二二号証の一、二、第二三号証、昭和五五年七月に小渡継源宅玄関付近を撮影した写真であることに争いのない甲第二七号証、昭和五七年一月に同所を撮影した写真であることに争いのない甲第二八、第二九号証、証人謝花寛勇の証言、原告会社代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件市道が路線認定された昭和五〇年二月当時、本件市道の周辺は人家が密集しており、わずかに二二四番一の土地だけが原告会社によつて有料駐車場として使用されていたにすぎないことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうとすれば、本件市道は、前記認定基準(ハ)の「道路の沿線に集落または公共施設があること」又は(ニ)の「集落または公共施設に通ずる路線」に該当するというべきであり、したがつて、被告が本件市道を路線認定したことは右認定基準の運用上も相当であつて、そこに原告ら主張のような裁量権の逸脱を認めることは到底できない。

三  以上のとおり、本件区域決定処分には何らの違法もなく、したがつて、その取消を求める原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 魚住庸夫 徳嶺弦良 小坂敏幸)

(別紙)

物件目録

(一) 那覇市松尾一丁目二二四番一

離種地 二二四平方メートル

(二) 右同所一丁目二二四番二

畑 二四一平方メートル

以上

図〈省略〉

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